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公益財団法人日本盲導犬協会

第17回 歴史に名前を残した視覚障がい者

歴史に名前を残した視覚障がい者

仙台訓練センター 
リハビリテーション事業部
内田

平成23年もいよいよ大詰め。年の瀬になると、テレビでは時代劇が次々と放送され、来年の大河ドラマの話題も増えてきますね。
先日、出張で福島県会津若松市に行ってきました。ホテルのロビーに手作りのポスターが貼られており、見ると新島八重(にいじま やえ)の名前が大きく書かれていました。そこには「会津が生んだ幕末のジャンヌダルク、大河ドラマの主人公に決定!」というキャッチコピーが。これを読んだ私は、「日本のジャンヌダルクってどういう意味? というか、新島八重って誰?」と思い、部屋に入ってからインターネットで調べてみました。
新島八重は江戸時代末期の会津藩の武士の家に生まれ、武芸に優れたお兄さんから鉄砲を習い、会津藩の最後の戦いでは男のかっこうをして銃をたずさえて参戦。お城をあけわたした後は、男は処刑、女・子どもは放免されると聞き、男の列に並んだという、まさに女傑だったそうです。明治時代となった後はお兄さんを頼って京都で暮らし、夫となる新島襄(にいじま じょう)と運命的な出会いをします。「見た目は美しくはないが、生きかたがハンサム」と夫に言わせたほど、凛とした生きかたをつらぬいた信念の女性でした。
彼女に鉄砲を教えこみ、夫となる人と運命の糸をつないだのが、お兄さんである山本覚馬(やまもと かくま)でした。ひとかどの人物であり、人生の途中で視力を失った…との記述があり、彼についてもまったく知らなかった私はもう少し調べてみました。
山本覚馬(やまもと かくま)は江戸末期の会津藩に生まれ、幼いころから文武両道に優れていたと言います。25歳で江戸に出て蘭学と西洋式の砲術を学びます。30歳の頃、軍の重役に抜擢され、会津藩の軍の近代化に大きく貢献しました。世の中が明治維新に向けて不安定に揺れ動く中、砲術と西洋の学問の師範を務めるなど活躍を続け、その名前と能力は広く知られていたようです。30歳を過ぎたころ、原因は砲弾の破片による怪我とも白内障とも言われていますが、視力のほとんどを失います。治療のために長崎まで行ったものの効果は得られず、全盲となりました。しかしそれでも西洋事情や西洋哲学の知識を深めることをやめませんでした。
時代は転換期を迎え、会津藩は戦いに敗れ、山本覚馬(やまもと かくま)も捕らえられて幽閉されます。とらわれの身であったこの期間に、彼は自らの意見を口述筆記させ、政治・経済・教育など22項目にわたり、将来の日本のあるべき姿を論じた意見書を明治政府に提出します。これが認められ、京都府の顧問として取りたてられ、その後、政治の世界でも活躍します。暴漢に襲われたためとも言われているようですが、視覚に加えて脊椎の障がいのために歩くことも困難になり、かごに乗ったまま京都府議会の議長を務めました。明治維新後の開かれた教育、加えて女子の教育にも力を注ぎ、同志社大学の設立にも加わりました。
こんなにも活躍し、近代日本に向けて多大な影響を与えた人物なのに、京都府以外ではあまり知られていないようです。でも大河ドラマでは、きっと重要人物となることでしょう。どんなイケメンが山本覚馬(やまもと かくま)を演じるのか、とっても楽しみですね。ちなみに、私はすっかり来年の大河ドラマだと思いこんでいましたが、正しくは再来年の大河ドラマです。お間違いなきよう。

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